「白衣の利権屋」=看護協会

原宿にピカピカのビルディング

表参道のヒルズのななめ向かい。ヴィトンのならび、バーバリーの隣に場違いな団体の建物がある。「白衣の利権屋」=看護協会だ。ここは、ちょっと前までは、白衣の幽霊がが出そうなオンボロな建物だったのだが、2004年にピカピカの建物に建て替えた。看護協会はお金持ちなのだ。

この団体の主な活動は、看護婦の利権確保だ。つまり、必要以上に多くの看護婦を、必要以上に高い給料で医療機関に雇わせること−−経済学の言葉では、レント・シーキング(rent-seeking、利権漁り)と呼ばれている。

自民党に深く食い込む「白衣の利権屋」=看護協会

「白衣の利権屋」はあなどれない。いつもまにか着々と力を付け、ついには大臣まで輩出した。
2005年の郵政国会で、しどろもどろの答弁を繰り返した南野智恵子法務大臣を覚えているだろうか。あの「お猿の電車顔」のオバサンだ。
ttp://www.kaokab.jp/ranking/kao%20news/nouno-chieko.html*1

この人、実はなかなかのキャリアを持つ助産婦で、看護界の重鎮なのだ。政治家としての最大の功績は、看護婦と助産婦を看護師と助産師と呼ばせるようにしたことと、殺伐とした国会に笑いをプレゼントしたことだ。

南野智恵子が法務大臣になったことを見ても、いかに看護協会や看護連盟という看護関係の圧力団体が力をつけてきたかが解る。看護協会幹部達の看護婦の地位向上と利権確保に対する執念たるや・・もう看護協会というより看護狂会と呼んだ方がいいかもしれない。その勢いは止まらず、いまや医師会以上に自民党に食い込んでいる観がある
そんな「看護狂会」が全勢力を傾けて政府に圧力をかけて作らせたのが、2006年の春の診療報酬改定で定められた新看護配置基準なのだ。これは病院の看護婦の配置についての規則だ。しかし、その内容を精査すれば、実はすさまじい診療報酬の引き締めであることがわかる。実際、この規則のために多くの病院が倒産の危機にあるとさえいわれているのだ。
(新看護基準については前のエントリ『医療崩壊を加速させる人為的看護婦不足』を参照http://d.hatena.ne.jp/eggplanty/20070423#1177511072)

病院関係者も役人も頭をかかえる複雑怪奇な看護基準

改定直後、最初に頭をかかえたのが、監督官庁である社会保険庁の役人だった。なにしろ煩雑なのだ。あまりに煩雑で、病院の総婦長や事務長が対応できなく右往左往した。しかし混乱したのは病院関係者だけではなく、社会保険庁の役人も大混乱だった。役人によって解釈が違ったり、言うことが違ったりしたという。

そういう状況なので、病院関係者は何を信じていいのかわからなくなり疑心暗鬼になったという。煩雑な規則を繰り返し読んで、ない頭をひねって勤務表を作り、「これで良いだろう」と申請しても、後から監査でNGにされ、何千万円もの診療報酬を「返せ」と言われかねないのだ。さぞや胃の痛い思いをしたことだろう。

しかし、中には開き直っている院長がいて、「あんな規則なんてデタラメなんだから、こちらも二重書類作って、最高額を請求しておけばかまわない」と豪語していた。おそらく、そういう病院が結構あるのではないだろうか。

「看護協会の幹部は現場をまるで知らない!」病院関係者は口をそろえて言う。

「久恒(看護協会会長)はバカだ。まるで現実が見えていない。全然、話が通じない」とは、ある日本病院会幹部の言だ。
そもそも、看護協会の上層部は、南野に言及するまでもなく、あまり頭の出来が良いとは言い難いようだ。扁桃体だけ異常発達していて、前頭前野の半分はガーゼでできているのかと思うほどだ。そんな頭の中に「看護理論」なるものを詰め込んで、それでもまだ空いている部分は女性特有の激しい思いこみでシッカリ固める。結果、ひどく現実離れしている上に、宗教がかった「看護教」の狂信者ができあがる。そういう人たちが厚労相の官僚達と手に手をとって踊りながら、ブゥードーの呪いをとなえる。そんな儀式の煙の中から出来上がったのが、新看護配置基準だ。

そして、病院つぶしを目論む厚生労働省と看護婦不足を創り出したい看護協会が野合した

それにしても、何故このような破壊力のある看護基準がいとも簡単に導入されたのだろうか。看護協会が力をつけたからか?准看問題での医師会との対立が緩和したからか?自民党となんらかの取引が出来たからか?小泉政権への貢献のご褒美か?

もちろん、それらもあると思うが、やはり一番大きな要因は、看護協会と厚生労働省が野合していることだ。

  • 看護協会の目論見は人為的な看護婦不足を作り出して、看護婦の雇用と労働条件の大幅アップを実現し、それによって看護婦の支持を得て協会を強化しようというものだ。

実際、これまで看護婦の供給はだぶついていた。バブル崩壊以降の長期の不況で看護婦になる者が増えた。(平成16年の「看護師」数は760,221人で、平成14年の441,309人に対して、56,308人、8.0%増加している。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei/04/kekka1.html

また、通信教育で、大量の准看護婦が即席に「正」看護婦になる。このままでは、看護婦不足どころか看護婦過剰になってしまう。そうなると病院の看護婦に対する買い手独占的競争力がますます大きくなる。病院が市場支配力をもってしまえば看護婦の選別が進んでしまう。圧力団体にとってメンバー同士の競争をかき立てられることは死を意味する。だから、これに対抗しなければならない。そこで、看護協会は、人為的看護婦不足戦略を強化を図り、役人と一緒になって狂気じみた看護基準の導入に狂奔したというわけだ。

  • 一方、厚生労働省の目論見は、厳しい看護基準を導入し、入院治療に係る診療報酬を削減し、医療費を削減しようというものだ。それに加え、看護婦の雇用コストを引き上げることで、病床数を削減できたらいいと考えている。さらには、結構な数の病院につぶれてもらって病院数を減らすことが出来たら儲けものと思っている。

極めてシンプル。

かくして、役人=「厄人」と看護協会=「看護狂会」という、まったく違う動機の両者が、「厳しい看護基準の導入」という一点で一致した。

厚生労働省の目論見は、多分、成功すると思う。どこの病院も大幅な減収で、病床削減はもとより、病院倒産による病院数減少は必至だ。これで医療費は削減できる。患者のことなど知ったことではない。

しかし、看護協会の目論見がどうなるかは解らない。新看護配置基準は、単に看護婦の雇用条件を改善することに失敗するだけでなく、看護の質の低下も招くだろう。そして、しばらくすれば、現場の看護婦から反対の声があがるはずだ。そのときに、久恒をはじめとした看護協会の「現場を知らない」幹部達がどんな顔をするか・・・ to be continued

*1:最初にhをつけて、%を半角にしてアドレス欄に入力して